三田啓貴「(FC東京U-18では)常に戦えなければいけないし、走れなければいけない。その面で本当に鍛えられました」|TOKYOism

FC東京U-18出身でFC東京トップチームに所属する三田啓貴選手の特集記事が公開されました。TOKYOismという、FC東京公式ホームページ内の企画にて選手インタビューの第3弾として登場しています。

詳細は該当ページで読んでいただくとして、ここではFC東京U-18に関係する箇所のみをご紹介していきます。

また、記載した成績は本サイト独自の集計によるもので、あくまで参考数値となりますのでご了承ください。

TAMA is back~帰ってきたスーペル・タマ~

慣れ親しんだ場所に帰ってきた。
思い出の詰まった小平グランドは、少しも変わらず温かく迎え入れてくれた。
青赤を愛し、愛された“タマ”。
その才能が育まれたルーツと、今夏、再び青赤に袖を通した理由――。
そこにあったのは、生々しいほどの想い。
「自分がいない東京には優勝してほしくなかった」
だから、タマは帰ってきた。
「オレが東京を優勝させたかったから」

引用元:TOKYOism
https://www.fctokyo.co.jp/tokyoism/column/6
TAMA is back~帰ってきたスーペル・タマ~

馬場憂太があまりに好きだというから・・

深川スクールの時によく“出待ち”をしてサインをもらったんです。ケリー、ルーコン、アマラオ……あとは馬場憂太選手。僕があまりに好きだというから、U-18の時に倉又さん(倉又寿雄/当時U-18監督)が、わざわざスパイクをもらってくれたんです

引用元:TOKYOism
https://www.fctokyo.co.jp/tokyoism/column/6
TAMA is back~帰ってきたスーペル・タマ~

2008年、三田啓貴選手が3年生の時につけていた背番号は14。これは馬場憂太さんがFC東京トップチームでつけていた番号ですね。ちなみに馬場憂太さんは2008年にジェフ千葉へ完全移籍しました。

あの時のチームは強くて、負ける気がしなかった

――アカデミー時代の思い出は?

U-18では、高校3年生の時(2008年)に『日本クラブユース選手権』で優勝したことも印象深いです

――大活躍して大会MVP にも選ばれたU‐18でのクラブユース選手権は、三田選手にとってひとつの転機となりました。

あの時のチームは強くて、負ける気がしなかったです。一年を通してほとんど負けていないんじゃないかな? 僕自身も高2の半ばまではあまり試合に出られず、悔しい時期もありました。ただ、ひとつ年上の洋平さん(大竹洋平選手/現・長崎)たちと一緒にプレーすることで、学ぶことも多かったです。結果的には、サイドからボランチに転向して開花したように思います。もともと、そんなに足が速いほうではなくて。年を重ねるごとに周りのフィジカルも上がってきて、だったらサイドでやるよりもボランチでプレーしたほうが自分の良さを活かせるのではないかと。当時監督の倉又さんもそう考えていて、僕をボランチで起用してくれたんです。そうしたらすごくフィットして。高3の時は全試合ボランチで出場して、それがチームの成績にもつながったと思っています

引用元:TOKYOism
https://www.fctokyo.co.jp/tokyoism/column/6
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三田啓貴選手が3年生だった2008年。このシーズンの試合成績(本サイト調べ)は47試合で37勝5分5敗。161得点、36失点。年間37勝はFC東京U-18歴代4位の年間勝利数です。

ちなみに、2019年9月時点でのFC東京U-18史上最多となる年間勝利数は2017年の40勝ですが、2017年の高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグはチャンピオンシップ含めて19試合でした。

2008年当時はプリンスリーグ関東1部が全11節だったことから、それで年間37勝はたしかに勝ちまくっています。

常に戦うことをベースにするために、めちゃくちゃ鍛えられました

――当時のチームで求められていたことは?

常に戦えなければいけないし、走れなければいけない。その面で本当に鍛えられました。試合でも練習中でも手を抜くことは許されなくて。ある時、相手が弱くて適当なプレーをしていたら、15分で交代させられてめちゃくちゃ怒られました(苦笑)。倉又さんから『いつどこで誰が見ているかわからない。だから常に全力でやれ!』と言われたことを今でも覚えています。あとは、サッカーを楽しむことかもしれません。ガンガン走ってプレスをかけて、それをすぐにマイボールにする。そこから速い攻撃を仕掛けて、とにかくすごく楽しかったです

――アカデミー時代に培われたものが、今の三田選手のベースにもなっている?

常に戦うことをベースにするために、めちゃくちゃ鍛えられました。倉又さんや丸山コーチ、右田さん(右田聡/現U‐18コーチ)や、本吉さん(本吉剛/現四国学院大学監督)もそうですが、熱い人たちに鍛えられて、今の自分があると思っています。そういえば村林(裕)元社長からもよく怒られました。『歩きながらパンを食べるな!』だとか(笑)

引用元:TOKYOism
https://www.fctokyo.co.jp/tokyoism/column/6
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15分で交代した試合については確認できませんでした。本サイトが確認できる三田啓貴選手の最短出場時間(途中出場除く)はモンテディオ山形ユース戦での35分間でした。

2年目にマッシモ フィッカデンティ監督が就任して。彼のサッカーは少し特殊なシステムでした。正直に言うと、当時の自分は、このサッカーには合わないと思うことがありました。なぜなら、ボランチへのこだわりが強かったので……。今となっては、フォーメーションやポジションは、監督が決めることだと理解できます。その当時は、難しかった

――ボランチへの強いこだわりは、その後の移籍の理由にもなった?

自分がボランチとしてできるところを一度は見せたかったんです……。3シーズンを終えて東京を離れる決断をしたのも、それが一番の理由です。U-18や大学でもずっとボランチで、自分が本当に実力を発揮できるのはそこだと思い込んでいたんです。それが東京ではなかなか出来なくて、その時に仙台から『ボランチで使いたい』というオファーが来て。それで決断したんです

引用元:TOKYOism
https://www.fctokyo.co.jp/tokyoism/column/6
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仙台でも神戸にいる時も、東京のサッカーはずっと見ていたんです。対戦して感じたことでもありますが、みんな走るし、戦う。良いサッカーをしているなと。そのイメージもあって、直感で『オレもここで戦いたい』と思いました

――東京の今季の成績も気になっていましたか?

今季はずっと良い成績で、東京には優勝してほしいとずっと思っていました……。ただ、正直に言うと、心のどこかで自分のいない東京に優勝はしてほしくないと思っていたかもしれません……。だって、オレが東京を優勝させたかったから。小さいころから応援してきた東京で優勝したいというのが、本当にずっと目標だったので

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TAMA is back~帰ってきたスーペル・タマ~

――かつて学んだ、戦う、走る東京のサッカーの中で自分も生きていきたいと。

そういうサッカーが自分には合っていると思うんです。U-18の時に示せたように、走れて、戦えて、かつつなぐスタイルが一番いい。今のチームはハードワークができて、攻撃もシンプルに早くというコンセプトがありますが、要所でつなぐ部分も必要になってくると思います。選手一人ひとりの能力は高いので、そこに自分が入ってさらに高めていくという意識を持ちつつ、攻撃面で“違い”をつくっていきたいです


――来年は30歳になります。サッカー選手としてのビジョンは?

まだまだ上を目指したいと思う気持ちは強いです。ここできちんと積み上げて結果を出すことができれば、たとえば日本代表のチャンスもない訳ではないと思うんです。試合に出て、優勝して、あきらめずにいくつになっても向上していきたい。それに東京に戻ってきて喜んでくれた人がたくさんいたことが、自分自身すごくうれしかったです。だから今は、東京のために頑張りたいし、活躍したい。東京で優勝したい。それが本当に正直な気持ちです。絶対に東京で優勝しよう!

引用元:TOKYOism
https://www.fctokyo.co.jp/tokyoism/column/6
TAMA is back~帰ってきたスーペル・タマ~

退路を断って外の世界で戦ってきた姿は頼もしいの一言。選手育成の手段としてレンタルやU-23などありますが、完全移籍して復帰するパターンはこれはこれで良し。青赤のユニフォームで活躍するタマをいつまでも見たい!

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